写真
(出典 amd.c.yimg.jp)
侍ジャパンの稲葉篤紀監督(48)が7日、公式YouTubeチャンネルに出演し、来年へ延期された東京五輪への意気込みや、本番への備えなどについて語った。
「とにかくオリンピックを開催してほしいという願いを込めながら、選手たちをしっかり見ています。本当にオリンピックがどうなるか正直分からないですけども、金メダルを獲って一緒に喜びを分かち合いたい」
稲葉監督の契約は今夏までだったが、延期に伴い7月に1年契約延長の要請を受けた。19年11月にはプレミア12を制し、トップチームに10年ぶりの国際大会タイトルをもたらした。契約延長時には東京五輪では「プレミア12のメンバーを土台に考えていきたい」とする一方で、「どんどん若い選手、生きのいい選手が出てきてほしい」と新戦力台頭にも期待を寄せていた。
「いろいろ考える時間を与えられた。(プレミア12から)1年半あいた時に、またどういう戦力が出てきて、どういうチームがつくれるのか。どちらかというと楽しみの方に気持ちを置くようにしている」と現在の心境を説明。感染拡大を受けて、なるべく球場へは直接足を運ばず、テレビで選手個々の状態やプレースタイルを確認しているという。
今季は開幕が3カ月遅れた影響から連戦が続く中で「どこの球団も若い選手を使っている。新たにこういう選手が出てきたんだと、楽しみが非常にありますよね」と目を光らせている。
侍ジャパンは「2020+1 プロジェクト」を立ち上げ、公式YouTubeチャンネルでの定期的な情報発信を行っていくという。今後もコーチ・OBの出演や、秘蔵映像などを配信し、東京五輪本番へ向けスローガンである「全世代結束」を目指していく。
9/7(月) 22:30 スポニチ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a063ca1004ec6c1b31ff785a02b4600d49294ea8
日本サッカー史上ただひとりの“ワールドクラス” 第2の釜本不在の理由
「第2の釜本」はなぜ生まれないのか(1)日本サッカー史上ただひとりの“ワールドクラス”(サッカー批評Web) - Yahoo!ニュース 「第2の釜本」はなぜ生まれないのか(1)日本サッカー史上ただひとりの“ワールドクラス”(サッカー批評Web) Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年4月15日 - )は、日本の元サッカー選手、元サッカー指導者、元参議院議員、実業家。日本サッカー協会 (JFA) 顧問。京都府京都市右京区太秦出身。現役時代のポジションはフォワードで、日本サッカーリーグでは、251試合出場し、通算202得点(歴代1位)、通 69キロバイト (7,376 語) - 2020年8月21日 (金) 10:36 |
かつて、メキシコ・オリンピックで得点王になった釜本邦茂には、南米やヨーロッパの有名クラブから獲得のオファーが殺到した。ドイツの有名クラブでプレーする計画も実現間近となっていた。Jリーグが始まって27年が過ぎても、彼を超えるストライカーは現れない。あらためて考えたい。どうしたらこの国に、ワールドクラスの点取り屋が誕生するのか。
略
■バイエルン・ミュンヘンでプレーする計画も
1944年4月15日に京都で生まれた釜本は、1960年代から1984年にかけて早稲田大学、ヤンマーディーゼル、そして日本代表で活躍した。ヤンマーの選手、後に監督兼選手として日本サッカーリーグ(JSL)で251試合に出場して202点(80.1%)を記録、プレーした17シーズンのうち7シーズンで得点王となっている。何より、JSL時代全27シーズンで釜本に次ぐ通算得点記録が85点であるということを知れば、彼がいかに隔絶したストライカーであったかがわかるだろう。通算シーズン数がJSLとほぼ同じで、年間の試合数がJSL時代の2倍以上にもなるJリーグ(J1)でさえ、現時点の最多通算得点は大久保嘉人の185点(17シーズン、448試合=41.3%)なのである。
日本代表では、釜本の時代にはクラブチームとの対戦が多く、Aマッチは限られていた。近年は100試合を超す選手も少なくないが、釜本のAマッチ出場数は76試合。その試合数で75点を記録している。こちらも、釜本に次ぐのは三浦知良(カズ)の55得点(89試合)と、2位以下を大きく大きく引き離しているのだ。
メキシコ・オリンピック(1968年)での得点王も特筆される。この大会で日本は3位決定戦まで6試合を戦って9ゴールを記録、そのうち7点が釜本(残りの2点はともに釜本のアシストにより渡辺正が記録)だった。日本は常時5人のDFを配して2人のMFとともに守備を固め、左ウイングの杉山隆一がロングパスを追ったり自らドリブルで進んでチャンスをつくり、そこからのボールを釜本が決めるという非常にシンプルなサッカーをした。釜本の決定力あっての銅メダルだった。
当時24歳。釜本は自己のサッカーを完成させ、まさに世界的な選手になっていた。前年までは、大型選手にありがちな動きの緩慢さが目立っていた。すでに自分の型はもっていたが、ボールを止め、ターンして、打つという3プレーがひとつひとつ分かれていたのだ。しかしこの年の1月から3月にかけて単身で西ドイツに短期留学、ザールブリュッケンのスポーツシューレで州主任コーチのユップ・デアバル(後に西ドイツ代表監督)に鍛えられ、まったく別の選手になった。プレーが流れるように一連のものとなり、スピード感が格段に増したのだ。
メキシコ・オリンピック後にはブラジル・サッカー協会創立50周年を祝う記念試合の世界選抜に推挙された。そしてオリンピックで釜本のプレーを目の当たりにしたメキシコはもちろん、欧州や南米のプロクラブから多数のオファーも受けた。彼の恩師であるデットマール・クラマーが計画したように、西ドイツのトップチーム、たとえばバイエルン・ミュンヘンでプレーしていたら、おそらく当時世界最高レベルにあったブンデスリーガのトップスターのひとりになっていただろう。間違いなく、釜本は「ワールドクラス」の選手だった。
釜本の後、Jリーグ時代になって、世界のトップリーグで活躍したアタッカーは少なくない。中田英寿をパイオニアに、小野伸二、中村俊輔、香川真司、本田圭佑、大迫勇也、南野拓実……。しかし私にとって、「日本サッカー史上最高の選手」はいまも釜本なのだ。時代を超えてサッカー選手を比較するのはあまりフェアではないかもしれないが、中田以降を見ても、「ワールドクラス」と言えるまでの選手はいない。日本サッカー史上、「ワールドクラス」は釜本ただひとりなのである。
略
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/adade89669ae3b282024aa575bd22ee1ff41fda1?page=1
(出典 amd.c.yimg.jp)
★1 2020/09/05(土) 14:20:53.33
前スレ
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1599283253/
【大谷翔平】15試合ぶり出場機会なし
大谷翔平 15試合ぶり出場機会なし チームは今季初5連勝(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース 大谷翔平 15試合ぶり出場機会なし チームは今季初5連勝(デイリースポーツ) Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
バドミントン選手の母を持つ、スポーツマンの両親の家に、三人兄弟の末っ子として生まれる。「翔平」という名前は、父が奥州平泉にゆかりのある源義経にちなんで、義経の戦うと飛ぶイメージから「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って名付けられた。 姉体小学校3年時に水沢リトルリーグで野球を始め全国大会に出場。 137キロバイト (19,309 語) - 2020年8月25日 (火) 21:16 |
「エンゼルス9-5アストロズ」(6日、アナハイム)
エンゼルスの大谷翔平選手(26)は2試合連続でスタメンを外れ、15試合ぶりに出場機会はなかった。チームは逆転勝ちで今季初の5連勝を飾った。
大谷は前日のダブルヘッダー第1試合に「4番・指名打者」で出場し、初回に先制適時打を放つなど3打数1安打1打点、1四球。第2試合はベンチスタートで2点を追う六回に代打で起用されて、空振り三振だった。
今季はここまで打者で33試合に出場し、打率・192(120打数33安打)、5本塁打、20打点、6盗塁。4日の試合でメジャー自己初のサヨナラ打、前日は先制打を放ったが、首脳陣の期待に応えられていない。
大谷の欠場は8月21日のアスレチックス戦以来15試合ぶり。けがや登板のための調整、指名打者制のない交流戦を除いて、2試合連続でスタメンを外れたのは昨年8月31日、9月1日以来となる。
前日の本拠地新記録となる気温42・8度に続き、この日の試合開始時の気温は41・1度。エンゼルスは序盤に3点のリードを許したが、三回に3番レンドンの8号2ランなどで逆転に成功。七回にいったんは追いつかれたが、八回にウォルシュとアップトンの適時打などで4点を奪って突き放した。
9/7(月) 8:39 ディリースポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c32801dab9af348366846a1b5f52e0d59d8bcf3
写真
(出典 amd.c.yimg.jp)
【久保建英】開幕スタメンも「厳しい」
スペイン1部・ビリャレアルの日本代表MF久保建英(19)は、レバンテとの練習試合(ホーム)にフル出場したが、得点に絡むことはできなかった。チームは1-2で敗れた。
リーグ戦は11日(日本時間12日)に開幕し、ビリャレアルは13日(同14日)の初戦で、元日本代表FW岡崎慎司(34)の所属するウエスカと対戦する。
◆シュートわずかに外れる
リーグ開幕前最後のテストマッチ。新加入のMF久保は初めてフル出場し、最後までゴールを狙い続けたが、無得点に終わった。
「ここまではチームに適応できている」
2日(日本時間3日)に行われた練習試合後、久保は手応えを口にしていたが、この試合はいいところがほとんどなく、ゴール前での効果的な動きが封じられた。
最大の見せ場は後半21分。左サイドでボールを受けると、前線へドリブル。左足でシュートを放ったが、わずかにゴール右へ外れた。試合は1-2で敗れた。
この日の久保のプレーに現地メディアから、開幕スタメンについて「厳しいのでは」と指摘する声もあがった。
トップ下の候補には、現在スペイン代表に招集されているMFジェラール・モレノ(28)がいる。リーグ戦開幕まで1週間。久保が開幕スタメンへ、練習からアピールする。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3239751d8282e62acbbf33eb7cdcfb2eed97dcc
【田沢ルール】撤廃決定、今秋ドラフト田沢も対象に
「田沢ルール」撤廃決定、自らもドラフト指名対象に - ニッカンスポーツ
(出典:ニッカンスポーツ) |
日本野球機構(NPB)は7日、臨時の代表者会議を開き、田沢ルールの撤廃を決めた。
井原敦事務局長は「協約改定委員会の報告があった。2008年10月8日の実行委員会の申し合わせ(田沢ルール)。この申し合わせについて撤廃を決定した。新たに同様のルールをつくらないことも決定した」と話した。これにより、10月26日に開かれるドラフト会議で、田沢も選択可能な対象となった。
◆田沢ルール ドラフト対象のアマチュア選手が国内球団を経由せずに海外でプレーした場合、その選手が帰国しても高校出身選手は3年、大学・社会人出身選手は2年、ドラフト指名が凍結されるという12球団の申し合わせ事項。08年に田沢純一がドラフト前に米挑戦を表明し、新日本石油ENEOS(現ENEOS)からレッドソックス入りしたのをきっかけに制限が設けられたため、通称として呼ばれる。
日刊スポーツ 2020.9.7
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202009070000491.html