秋山幸二が語る西武の黄金期「『必勝法・必敗法』という冊子があった」 - Sportiva 西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(33)【背番号1】西武・秋山幸二 前編 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。 1992年、 ... (出典:Sportiva) |
秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )は、熊本県八代郡氷川町出身の元プロ野球選手、監督。野球解説者。野球評論家。選手時代は西武ライオンズと福岡ダイエーホークスに所属。ポジションは三塁手、のち外野手。 2005年には福岡ソフトバンクホークス二軍監督に就任。2007年は一軍総合コーチ 55キロバイト (6,731 語) - 2019年8月26日 (月) 15:11 |
(出典 baseballgate.jp)
(出典 pds.exblog.jp)
西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(33)
【背番号1】西武・秋山幸二 前編
四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。
1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、"黄金時代"を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。
森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。
1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。
両チームの当事者たちに話を聞く好評連載を再開する。
第9回のテーマは、「背番号1」。連載の17人目、西武・秋山幸二のインタビューをお届けしよう。 【西武のほうがずっと早く「データ野球」を取り入れていた】
――1992(平成4)年、翌1993年に行なわれたスワローズとの日本シリーズについて、みなさんにお話を伺っています。
秋山 うーん、あんまり覚えていないんだよね(笑)。森(祇晶)さんと、野村(克也)さんの2年間ですよね。1992年はうちが勝って、1993年はヤクルトが勝ったんだよね?
選手っていうのは自分が活躍した時のことは覚えているけど、あまり活躍しなかった時のことは覚えていないんですよ。
――でも、1992年のシリーズでは優秀選手賞を獲得し、翌1993年のシリーズでは3本のホームランを打っていますよ(笑)。
秋山 えっ、そうなの? (記録を見ながら)全然覚えていないや(笑)。1992年の日本シリーズは野村さんの何年目でしたっけ?
――スワローズ・野村監督は1990年の就任でしたから、1992年は3年目になります。
秋山 あの頃のヤクルトはキャッチャーの古田(敦也)を中心に、岡林(洋一)、西村(龍次)、川崎(憲次郎)とか、いい投手陣がそろっていた。
あと、打撃陣ではブンブン丸(池山隆寛)、広沢克己(広澤克実)が中心となって引っ張っていって、バランスがとれていたチームだった気がします。
監督がともにキャッチャー出身者同士で、細かい野球をやっていましたよね。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190909-00870720-sportiva-base
9/9(月) 6:57配信
(出典 Youtube)
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秋山 ホームラン
(出典 Youtube)
1992年日本シリーズ 秋山の同点打と大塚の好走塁
>>1
西武の秋山はまだ現役なんだよな
>>1
バク宙ホームインの1986年日シリ、実は戦犯寸前。
3連敗の前半不振で3→6番に打順降格
>>1
>>1
>――1992(平成4)年、翌1993年に行なわれたスワローズとの日本シリーズについて、みなさんにお話を伺っています。
>秋山 うーん、あんまり覚えていないんだよね
>選手っていうのは自分が活躍した時のことは覚えているけど、あまり活躍しなかった時のことは覚えていないんですよ。
ーーー
1番語らなきゃいけないのは、
9回二死1塁から起死回生の同点安打打ったが、ホーム送球の間に2塁に進まなかったので、
奇跡の同点で球場全体が沸く最中、3塁走塁コーチ伊原や、森監督、黒江ヘッドがブチキレてた、
てことなんだけどなぁ
1992年日本シリーズ 秋山の同点打と大塚の好走塁
(出典 Youtube)
こういう所が当時の西武の強さを象徴してた
あの時代の西武は 大人の野球 だった。
日本シリーズで巨人に勝ち、
ビールがけした時、インタビューで
塩崎が(うん、巨人弱い)とサラリと
答えていたのが記憶にある。
>>5
中日時代の星野監督が
選手のこと
ぼこぼこに殴ってリーグ優勝したけど
日本シリーズで西武に負けたとき
殴られるのが恐くてやってる子供のちーむと
1人1人が考えてやってる大人のチームじゃねぇ
>>5
>塩崎が
一瞬オリックスかと思った
潮崎だよね
>>49
すまん。
西武ファン失格だな。
潮崎だよ、潮崎。
渡辺久信も人気あったが、
潮崎ファンは凄い。
間違いなく今の西武より強い
>>6
次元が違う。
あの当時のパリーグのレベルは
高過ぎ。
>>9
パリーグのレベルというか西武がずば抜け過ぎてた
他チームは残念ながらち密さはなかったな
ただそれが魅力でもあった
>>6
ここ10数年のライオンズはパワーヒッターと先発は揃えて派手な試合で勝つけど、中継ぎは弱いままで優勝はたまにしかしないようにして年棒大幅アップを防ぐという経営スタイルな気が
>>71
西武常勝期に対極にあった近鉄みたいなチームだよね
今の西武打線はいてまえ打線と被る
>>6
打力ならいい勝負だと思うけど投手力が全然違う
特に先発の完投数がずば抜けて高かった
筋肉番付でもパワースピード共に万能だったイメージ
もちろん室伏の域ではないが
>>14
晩年の秋山や飯田が全盛期の日本代表サッカー選手に余裕で勝ってたからね、全種目
>>22
ショートダッシュ30回やマラソンやったら
サッカー選手勝つんだろうけどなぁ
ソースの写真を見るだけでも
今の西武の選手と輝きが違う
スター性の有無というかな
成績も素晴らしかったがそれ以外の何かがあった
>>15
何かか…
スター選手は勿論だが、
バブルの日本だった。
西武黄金期と日本のバブルは重なる。
幸せだったよ。
何が嫌って、当時の西武は全員足が早く
(清原、デストラーデすら走れる)
気を抜ける場面が無かった
そして相手の守備が鈍そうなら隙をついて
さらに先の塁を狙う狡猾さがあった
勝てる気がしない
>>19
だな。
清原やデストラーデですら走れるから
怖い。
相手チームの隙をついて先の塁を狙うんだよな。
一つでも先の塁に進み、最後は点数に繋げる。
川上巨人のチームとどっちが上なんだろうか?
91 西武ライオンズ
1辻(二)
2平野(右)
3秋山(中)
4清原(一)
5デストラーデ(指)
6石毛(三)
7吉竹・笘篠・森博(左)
8伊東(捕)
9田辺(遊)
投 郭 工藤 渡辺久 渡辺智 石井丈 潮崎 鹿取
>>25
中日から行った平野なあ
まあ西武に行って良かった
>>25
歴史上、傑作たるスタメン‼
リアルで見てきたから、
清原に関しては本当に残念だ。
ただ ただ残念だ。
社会的に犯罪した清原は絶対に許されない。
しかし心では清原はこのまま*でいくだけかと思うと切ない。
全ては清原自身の責任だが、
水の合わない&運気下がる巨人入りを
避けたかった…
>>35
一回目の複数年契約最終年であった2001年に好成績残しちゃったのがなぁ…
あれで脱出失敗したのがね。あの年もパッとしない成績で自由契約になってたら
他球団で再び輝けたのかも知れない。
>>25
なんかファミスタやりたくなるな
>>25
当時の西武ファンだけど
左翼の森?だけ知らないなあ
安部か吉武あたりのイメージ
>>46
森博幸はレフトというより
1塁か代打の方が多かった
(出典 d.hatena.ne.jp)
>>25
左翼は苫篠が左投手用、吉竹が右投手用
安部はその二人より守備力が落ちるせいか
一塁やDH兼任
ただ、出てくるとチャンスに強く嫌なイメージがある
森はさらにその下かな
遊撃は打てる田辺と守備力に勝る清家との併用、
>>25
神戸グリーンスタジアムで見た、西武負けたけど
>>25
7番の森博というよりは安部理だな
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